悪文を読むことで現代文が得意になる

受験の現代文は「悪文」が多い。「悪文」というのは理解しにくい文章だ。たとえば、内容がものすごく抽象的だったり、文章の流れがつかみにくかったり、あるいは句読点の打ち方がちょっと独特だったり……要因は色々あるだろうが、わかりにくい内容の文章ほど受験で好まれる。

理由は単純で、わかりにくい内容のほうが得点にばらつきが出せ、合否を分けるのが楽だから。もちろん大学側が意識的に「悪文を使おう」と思っているとは限らない。しかし、誰でも読みこなせてしまういわゆる「良い文章」だと、全員が全問正解なんてことになってしまい、合否を分けられなくなる。ということで、現代文は悪文が入試問題として採用されることが多いのである。

ということは、現代文の読解力を本質的に身につけたいのであれば、「悪文」に対処できるようになればいいわけだ。もっと簡単にいってしまえば「悪文に慣れる」。

慣れるにはどういう文章が悪文であるのか知ることだ。文章を読みながらわかりにくいと思ったら、その文章がなぜわかりにくいのかを検証しよう。現代文は漠然と問題を解くだけでは実力はつかないからだ。実力を飛躍的に上げたかったら、この検証プロセスを欠かしてはならない。

まずは自分が理解できるレベルでいいので、読解問題を解いたらそれぞれの文章のクセを見るようにしよう。

どんな文章が悪文なのか

たとえば……

・何が主張なのかわかりにくい

「◯◯のような、それでいて××のような……」みたいな比喩表現やレトリックが延々と続き、結局なにが言いたいのかが伝わってこない文章。書いた本人はメッセージを持っているのだろうが、読む側に伝わってこない。こういう文章だと、最後の設問に「この文章の主張に合致するものを選べ」が出やすい。もちろん、内容一致問題が出たからといってその文章が悪文とは限らないので注意。

・カタカナが連発される

フランス語を日本語の文章で書かれてもわからん・・・。簡単な日本語で書けばいいのに、技巧性ばかりにこだわっていちいち外国語を使いたがる著者もいる。葛藤を「ジレンマ」というくらい浸透した言葉ならいいけれど、「メルクマール」といった注釈が必要そうな語をなんの前ぶれもなく使う人もいる。

わざわざ読む人を困惑させる語を選ぶくらいなら、「判断基準」とか日本語で言えばいいのに。難しいことを簡単に書くことこそ頭の良い人の条件であって、難しいことを難しく言うのは賢いとはいえない。

・句読点の位置がおかしい

一般的に句読点というのは、読みやすさを、高めるために使う、べきだ。こんな風に句読点の、位置がおかしい人もいる。

本当なら読みやすさのほうがはるかに重要だが、句読点の位置は書き手にとっては文体(文章のスタイル)を独特にする個性のひとつにもなる。そういう意味で、句読点をちょっとクセのある打ち方で使う書き手もいるわけだ。それで良い内容にまとめられるのであればいっこうに構わないが、時には句読点がおかしくて内容がわかりにくいだけの人もいる。

こういう悪文の要素をおさえておいて、いざ悪文が出てきても対処の仕方に困らないように。なぜその文章が読みにくいのかを理解できるようになれば、同じような悪文が入試で出ても対処できるはずである。

所詮は慣れで読めるようになる

理解しにくい文章は、上のようにパターンがだいたい決まっているので、慣れていくうちに対処の仕方がわかってくるはずだ。だから現代文は「悪文」をまず知って、あとは慣れろというのがアドバイス。もちろん、検証をせずに漠然と慣れることだけをやってしまっては意味がないから、まずは理解しにくい要素を検証すること。

授業や参考書の解説は、要するにそういう検証プロセスそのものである。